鬱になったけど、立ち直りたい

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死にたいときだけ見てください *内容過激注意*

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2020年9月23日 執筆

まだ死にたい、という思いがあるときに書いたほうがいいと思って、過去に執筆したものです。今もまだ、死にたいという気持ちは残っていますが、以前よりは薄くなってきた気がします。

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こんにちは。

この記事を開いたということは、

私と同じ気持ちを持っている方だと思います。

 

死にたいですね。

自分が消えたって世の中変わるわけではないし、

自分がいることで周りに迷惑をかけている気がして...

なんのために生きているんだろう、と。

 

自分がいないと困る、なんていう人は

恐らく悲しむのはしばらくで、どうせ普通の生活を送れる。

 

ただ「死ぬこと」が非道徳的だから止めているだけだ。

 

....と私は考えてしまいましたが、

そこまで気持ちがいってますか?

 

でもね、私は死ねないのに理由があると思うんです。

 

死にたいと思うぶんだけ生きたい、と思っていると思うんです。

誰かに必要とされたいし、

愛されたい。

自分がいないとダメだって泣いてほしい。

自分がいつもと違う行動に出たら、

どれだけ遠いところにいても

どれだけ忙しくても、

すっぽかして急いで駆けつけてほしい。

 

そんな気持ちも持っているのではないでしょうか。

 

大丈夫です。

そんなことを考えてしまってもいいんです。

死にたいと思うほど、今追い詰められているんです。

 

「あなたが死にたいと思った明日は、誰かが生きたかった明日だ」

なんて知っているわ!!ですね。

 

知っていても、自分が限界ならそれでいいと思うんです。

 

死ぬことを助長しているわけではありません。

でも考えてしまうことに、罪悪感を持たなくていいと思うんです。

本当に命を絶ちたいなら、それはあなたの自由で、行えばいいと思います。

 

それでもこうやって私と同じ気持ちを持つ人に呼びかけているのは、

本当に死にたくて死ぬ人なんていないからです。

(と私は思っています。)

だから、今もし私と同じように崖っぷちにいるのなら、

一緒に後もう少しだけ、生きてみましょう。

 

私はあなたを必要としています。

 

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ここから先は、過激です。

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目次

 

死ぬことについて

薬物死、失血死、窒息死、水死 、飛び降り死など、色々と方法はありますが、

実際に行おうとしたことはありますか?

 

私も死のうと思って何度も検索して、

頭の中でシミュレーションして、

行おうとしたことがあります。

 

一番楽で迷惑をかけない方法で死にたい、と思っていたのに、気がついたら包丁を首に持っていました。

 

多分死んでやる、と覚悟を決めて死ぬ人なんていないのではないでしょうか。

苦しいですもんね。

死にたいけど、人間ですもの。

痛みは少ないほうがいいし、死ぬなら一瞬で終わらせたい。

 

でも私は包丁を首に持っていったのは、

直感的に一番手軽ですぐに実行することができたからだと思います。

もしくは心のどこかで、誰かが止めてくれるのを待っていたのかもしれません。

 

まず、死ぬって生きるよりも難しいらしいです。

色んなサイトを見ると、

死ぬつもりだったのに失敗をする人も多いですし、

結局怖くなって死ねない人もいるみたいです。

未遂に終われば、それこそ社会的に終わる。

それが怖くて実行できない人もいると思います。

 

水死は辛いらしい

誰もいないところで、誰にも迷惑をかけずに死にたい、と思った私は水死を第一候補として選びました。

薬は100錠近く飲んでも死ねないらしいし、

包丁だと血の処理が大変。

飛び降りは下敷きになってしまう人がいるかもしれないし、

電車だったら乗っている人に迷惑がかかる。

 

ただ家の近くに海があるんです。

そこで死ねば、誰にも私が亡くなったことさえも分からない。

血の処理も大変ではないし、私を食べてくれる魚もいる。

 

でもこの動画を見て考えが変わりました。

youtu.be

「あ、怖い」

足のつかないところで、この暗闇の中で、

私は死んでいく覚悟ができているのかな。

こんなことを思ってしまった私はまだ生きたいのかな。

 

もっと調べてみると水死は過酷な死に方の一つみたいですね。

 

今でも水死は私の中で一番考えている死に方ですが、死ぬことが簡単ではない、と悟った瞬間でした。

 

生きるだけでいい

死にたいのに死ねない。

自殺ばかりを考えていた時期に、

私はある本に出会いました。

 

www.diamond.co.jp

アドラーの「嫌われる勇気」

有名な本ですよね。

私の父が会社の人に相談したところ、

この本を私にと貸してくれたらしい。

 

藁(わら)にもすがる思いで、1晩で読み終えた中で

すっごく刺さった言葉があるんです。

 

この本は先生と、その先生と違った意見を持つ青年が会話をしている形で話が進みます。

 

その中で、青年は自分を劣等感を持っていて出来損ないで、生きる価値なんてない、と感じると話します。

そこに先生はこんな感じのことを言うんです。

「生きているだけで、社会に貢献している」

 

青年は、「そんなあ。そんなわけがない。」と。

自分は迷惑をかけているんだ、と。

 

先生は、

「自分が(生きているだけで貢献していると)そう思えばいい。誰かの物差しで役に立っているかどうかを決めるから、そう感じるんだ。」

といったことを言います。

 

息をしているだけで社会に貢献している

話が少し変わりますが、

私はこの本を読んだ数日後に、

急に海を泳ぐ魚が見たくなりました。

 

www.youtube.com

魚って息をして一日中同じところを行ったり来たりしているだけなのに、

私よりも生き生きとしているんですよね。

ずーっと本当に眺めていたら、

自分がちっぽけに思えてきて、

そのときに本で読んだ言葉をふと思い出しました。

 

「生きているだけで、社会に貢献している」

死にたいぐらい辛くて、今は生きるのでいっぱいで、

本当はそれだけでも生きることを許されてもいいのだと魚を見て思った。

 

会社に行って働くこと、

誰かと会話を交わすこと、

明るく振る舞うこと、

誰かに傷つけられること、

それは全て求められて、私が与えているもの。

 

働かないと生きられない、のはそうかもしれないけど、私が死んだところでどうにもならないなら、

いっそのこと会社を辞めて、

してみたかったフリーランスをしてみて、

それで生きられなくなったら死のう、と思いました。

 

皆が普通にできていることができなかったとしても、生きているだけで充分頑張っているのだと泳ぐ魚を見て感じました。

 

まとめ

私はまだ死にたい、という思いから逃げられていません。

いつでも死んでいい、と思っていますし、

簡単に死ねる方法があればいいな、と思っています。

でも本当は生きたいし、これを読んでいる方たちも似た気持ちを持っているのではないでしょうか。

アドラーと魚の動画は、気持ちを前向きに持つのにとても役に立ちました。

あなたがこのブログを読んで、「もう少し生きてみようかな」と気持ちになってくれたら嬉しいです。

一緒にもう少し生きてみましょう。