場所が変われば価値観も変わるという話
今日は少しうつ病と離れたお話がしたいと思います。どんな人にも読んでもらえますが、うつの人にも関わるような価値観についてのお話です。
常識ってなんでしょう。
私は小さい頃から国籍、性別、貧富、様々な視点から考えが違う人たちと会うことが多く、人と違うことが当たり前であった私は、大学の哲学の授業でこのテーマでエッセイを書きました。
私自身人と価値観が違うと感じてたくさん悩みましたが、人と違うことはおかしいことではないと私は今自信を持って言えます。
人と違うことに悩んでうつ病になった方もいれば、逆にうつ病になってから人との違いが気になる方もいると思います。
この記事が今悩んでいる人たちの励みになれば嬉しいです。
目次:
- 常識=大多数の意見
- 常識は無意識の中にある
- 私たちは日々色んな常識グループの中にいる
- 合わないなら場所を変えてみればいい
- 価値観の違いを例に出してみた
- でも私はそこ出身ではないしな...
- その価値観や意見は持っていた方がいい?
- まとめ
!じっくり読む!
常識=大多数の意見
その哲学の授業では、常識とは大多数の意見であり、それは時代とともに変わっていくものだと学びました。
最近だとLGBTや同性婚などが世界に浸透しましたね。きっとこれは20年前などではありえない価値観だったでしょう。
ゲイの人について、「ゲイだから」と自分たちとは違う、と話始める人も多くいたと思いますし、肩身の狭い思いをする方もいたと思います。
しかし、今はテレビでLGBTが取り上げられ、法律で同性婚ができるようになり、普通に見聞きするのもとなって人は受け入れ始めました。
多くの人が当たり前だと感じることによってLGBTのいる世界が常識になり始めましたね。
常識は無意識の中にある
それはLGBTだけの話ではなく、小さなところから大きなところまで私たちは日々「常識」で埋め尽くされています。
→残業するのが当たり前
→授業で発言をするのは恥ずかしいこと
→20代の年収はこれぐらい
そして、きっと自分では気づきもしないところに常識は潜んでいます。
私の場合だと、醤油やお茶を器に入れ終わったときに、容器を一度ピタッと止めることを知りませんでした。
私は醤油入れがいつもポタポタしている理由をたった1年前に知ったのですが、皆にとっては当たり前すぎて私の言っていることを不思議そうに聞いていました。
そんな小さなところまで私たちは日々常識を取り入れているのです。
私たちは日々色んな常識グループの中にいる
ところでこの大多数って誰なのでしょう。親?学校?会社の人?
もし私の友人や仕事場の人たちが大多数なら、私は醤油をポタポタこぼす注ぎかたをどこで学んだのでしょう。
私の答えは、「それぞれの組織」です。家族の常識、学校の常識、会社の常識、私たちはそれぞれ違う常識を日々行ったり来たりする中で自分の常識を築きあげています。
ここでは良くてもあそこでは良くない、ここでああするより、こうしたほうがいい。そうやって考えたことがあなたの常識、になるのです。
そして、その常識、価値観は皆それぞれ違うから、私たちはお互いに惹かれあったり、ときには喧嘩したりするのです。
合わないなら場所を変えてみればいい
ときには、自分にとっておかしく聞こえる意見を、周りが賛同することもあるでしょう。そんなことが起きても自分がおかしいわけではありません。
あなたもあなたなりの知識や経験などを通じて自分の常識を作りあげました。あなたの意見はデタラメではなく、ただあなたのいるコミュニティでは少数派であっただけなのです。
だから人と違うことを恥じなくてもいいし、辛いなら場所を変えてみるのも一つの手でだと思います。
個人的に自分と合わないところにいればいるほど、あなたの価値観や常識が自分の意思と反して徐々に変わっていき、
何度か話している「うつ病は理想と現実のギャップで起きている」という部分に関係してきます。
その組織で自分の意思や意見を浸透させるのか、ボソボソとやっていくのか、場所を変えてみるのか、それはあなたの自由ではあります。
ただもし今いる場所が辛いなら、場所を変えることを私はお勧めします。それは逃げではなく、自分にとって正しい場所を見つけに行くだけです。
価値観の違いを例に出してみた
それでも自分の意見が間違っている、悪い、と思う人向けにいくつか価値観の違いを書いてみました。
1、日本ではアイコンタクトを取って敬意を表しますが、アフリカでは敵意を表します。
2、皆の溜まり場マックですが、私の大学ではファストフードのマックを食べる人はいませんでした(食汚染がひどく、不健康だかららしい)。
3、日本では言いたいことを言いすぎだと言われる私ですが、他の国では大人しすぎると言われます。
4、新卒入社した企業では、全員プライベートに干渉されるのを嫌がりましたが、友人の企業では焼肉を奢ってもらったり可愛がってもらったりしていました。
5、日本では一人暮らしすることが親孝行ですが、中華圏では一緒に暮らすことが親孝行です。
6、同じ日本人でも、建前を相手を心から立てたくて使う人と自分を守るために使う人がいます。
7、新卒は皆スーツを着ますが、他の国では暑い中よく着るな、と言われます。
8、私の通った香港の大学では皆スッピンなのに彼氏いました。
9、私がチョコレートを裸で日本人の先輩に渡すと、普通そんなふうに渡さない、と言われました。私の住んでいる国では気にしないので裸で渡すのが普通です。
10、日本ではなかなか欠勤できませんが、オーストラリアでは「今日は波がいいから欠勤する」という理由でまかり通ります。
いかがでしょうか。これは私の知っているほんの一部ですが、国別だけではなく日本人間でも全く違うことがあります。
あなたと同じ意見を持っている人はこの世の中で、日本という中で、いやもしかしたら東京や大阪、どこかの町の中でもいるかもしれません。
でも私はそこ出身ではないしな...
ここまで読んで、
「私日本に住んでいるしな」
「でも私は今の生活を続けなくてはいけないし、今の人たちと付き合わなくてはいけないから私は私らしい意見を持ってはいけない。」
と思う人もいるのではないでしょうか。
そのコミュニティでうまくやっていくために、他の人の常識を取り入れることもありますよね。けど私が言いたいのは、あなたの意見は間違っていない、ということです。
変な考えを持っていても、周りがあなたを笑っても、誰も味方がいないと感じても、あなたの価値観や考えに賛同する人が必ずどこかにいると私は信じています。
それは私自身色んな方と会って、自分で経験して思ったことです。
日本に住んでいても同じ考えを持つ人はいますし、今のコミュニティでうまくやっていく必要がある人も自分の考えを表したときに同じ考えを持つ人がどこか近くにいます。
その価値観や意見は持っていた方がいい?
だから自分の考えていることは間違っていないわけですが、私は特にうつ病の人に考えてほしいことがあります。
その価値観や意見は自分にいい影響を与えるかどうか、ということです。
常識だから、と無理して人に合わせる必要はないです。なぜなら人に合わせないことが常識だと考える人もいるからです。
周りを敵だと思いこんで攻撃態勢にいつもいること辛くないですか。周りは仲間だと考え、優しく気遣える人たちも中にはいます。
自分の今持っている価値観や考えは、自分にとっていい影響を与えていますか?肩を下ろして、リラックスできますか?
先ほど言ったように皆それぞれ学んだことがその人の常識になっています。
無意識に人に合わせるようになったり、攻撃態勢に入ったりするのも、おそらくそうさせる環境にいたのでしょう。
けど100人会ったら、100人皆そうではなかったはず。過去の環境がそうだったとしても今の人はそうではない。
今の人が本当にそうだったとしても、違うコミュニティやグループではそうではない。
自分に合う人がどこかにいるから、それを信じて自分の常識を変えることもときには役立ちます。
とはいえ、いきなり常識を変えようたって難しいと思うので、参考になる記事を下記に貼りました。
ぜひ読んでみてください。
少し行動を起こすと、少し変化を起こせる、という記事です:
ポジティブな言い方に変えると、思考も変わってきます:
相手を思いやると、人に対する攻撃性が低くなります:
まとめ
常識というのは大多数の意見のことをいい、国ごとだけではなく場所やコミュニティごとに変わるものです。私たちの価値観や意見も様々な常識に触れることで作れられているからこそ、自分の価値観や意見が周りと違っても必ずあなたと同じ考えを持つ人がどこかにいます。もっと自分の意見に自信を持って、胸を張って生きましょう!