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2022年11月24日に自殺願望があったため、執筆しました。
通常のコンテンツとは違いますが、皆さんの役にも立つと思ったため、書くことにしました。
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本当に死にたいのか
私は今、死にぎわにいます。
それでも私が死ねずにいるのは、心底死にたくないと理解しているからです。
自分は社会的に、人間的に、恋愛的に必要とされてこなかった。
今お仕事があって、友人がいて、恋人がいても、社会全体を見ると私が嫌いな人のほうが多い。
という考えから、私は自分の存在価値を認めてあげることができません。
私の存在価値を認めてあげればいい。そうすれば死なない。
そう理解していても、私の死にたいという気持ちは変わりません。
今まで、人様の役に立ってこなかった人生を、どう肯定してあげればいいのか分からないのです。
ほのぼのと暮らせていても、社会のお荷物になっている自覚が、私にはあります。
それを「それでもいい」と思うことが、なぜかできません。
どんなふうに死にたくなるのかを、以下で解説しています:
30になったらポックリいこう。
自殺したくなると、そう思っていたことを、私は思い出します。
30までに自分の好きなことをしよう。
好きな人たちに、彼らのせいで死ぬわけでないことを分かってもらおう。
私が自殺すると、私の周りの自殺リスクが高まるそうです。
だから私は彼らのために生きている。
けどそれも30までの話であり、30過ぎても死にたかったら、私は死ぬかもしれない。
病気になって思ったこと
最近、膀胱炎になりました。
熱が37.8度までいき、血尿が毎度出ました。
膀胱炎で熱が出るのは稀で、腎臓まで炎症がいったときのみに出るらしいです。
私は人生で初めて、うつ病以外で死ぬリスクを目の当たりにしました。
抗生物質を1週間飲みましたが、まだ完治はしていません。
産婦人科のお医者さんは、膀胱炎ではないなら別の病気、または妊娠かもしれないと言いました。
(実際はまだ不明です。ほかのクリニックでまだ膀胱炎だったことは発覚しています)
妊娠でも、別の病気でも、困る。
癌(ガン)になったら、それこそ怖い。
ずっと胸がザワザワしています。
死にたいと思っていた私が、こんなことを思うのはおかしい。
自分でもそう思いました。
死にたいのに、死なないようクリニックへ何度も訪れる。
すごく不思議なことをしているな、と思うと同時に、私は生きたいんだと実感しました。
死にたくないのか?
私は人の役に立たないどころか、お荷物になっているから死にたい。
けど私は同時に、生きる理由を探しているのだと思います。
今、この文章を読んでくださっている方も同じではないでしょうか。
本当は生きたくて、どこかにその可能性が落ちていないか、探していませんか。
「そんなことない。本当に死にたいと思っている。」
そんな声も聞こえてきそうです。
私もです。
ただ、それなら、なぜ私もあなたも死んでいないのでしょうか。
30までに、なんて決めなくてもいい。
本当に私がお荷物なら今死んでしまえば、いい。
残された人たちの気持ちなんて考えなくていい。
それなのに、なぜ私は、今日もお仕事をして、友達との予定を立てて、今後使う調理器具を買っているのでしょうか。
あなたが今寝たっきりだったとしても、息をして、毎日、一生懸命過ごしています。
薬、ロープ、包丁を使いましたか?
高いところ、深いところに行きましたか?
遺書を書いて、身辺整理をしましたか?
けど、それでもあなたはこの文章を読んでいる。
「助けてほしい」と思っている。
「生きていいよ」って言われたがっている。
人生のお荷物になっている、と感じる自分に「そんなことない」と、「思い過ごしだ」と。
「あなたという人材を失うのはもったいない」と言われたがっている。
死なないで。
その言葉をもらうために、今日、明日と一分一秒、私たちは必死に生きているのだと思います。
最後に
私が伝えたいのは、私たちは、見えないなにかと日々闘って、生きているのだということです。
「いつ死のうか」と考えている今も、きっと生きることに必死なのだと思います。
私がクリニックへ行って治療したのも、どこかでまだ生きたいから起きた行動だと思います。
「死にたい」って思うのは当たり前です。気づいていないだけで、それぐらい今辛いんです。
私にわがままを言わせてください。
私が死なないためにも、あなたに生きていてほしいです。
このブログを誰かが読んでくれている、また一日生きようと誰かが頑張っている。
そう思うと、私はもう一日、生きてみようと思えます。
だから生きてください。お願いします。
また気が向いたら、私のブログをご覧ください。いつでもお待ちしています。