「私は必要とされていない人」は翻訳すると「申し訳ない」ということ?!
どうせ私なんて誰からも必要とされない。
いなくたって誰も気づかない。
けど本当は必要とされたいですよね。
こういう考えは、孤独だったり、他人に依存しすぎるときになりやすいです。
ただそんなこと言われても、
「はい、人と会います!」
「自分を大事にします!」
とはなりづらいと思います。
ただ「必要とされていないと感じるのは、申し訳ないと感じるからだ」と気づいてから気持ちが楽になりました。
なぜ申し訳ないと思うとそう感じるのか?どうすればいいのか?
今日はそんなことを話したいと思います。
目次:
*この記事はうつ病の方をターゲットとしていますが、精神的に悩んでいる方にも効果的です。
*この記事は個人談をもとに書いています。専門家ではないので、その点ご了承いただけると幸いです。
「必要とされていない人」と感じるのは「申し訳ない」から?
自分が必要とされていないと感じるのはどんなときですか?
特別な日に祝ってくれる人がいないとき
あっちに行って、と言われたとき
誰からも連絡がないとき
色んな状況があると思いますが、このときに「私は必要ない」と感じるのは申し訳ないと感じているからです。
例えばあっちに行って!と言われたときに、おそらくこんなとを思うんでないでしょうか。
なんでこんな雑に扱うの?!
私なにもしていないよ!
理由が分からない、モヤモヤする。
そのモヤモヤを解決するために、恐らく「いやいや、これには理由があるんだろう」と納得しようとするはずです。
なぜ私だけが違うように扱われたのか。私に非があったのかもしれない。
結果的に私が悪い。私は必要とされていない。という気持ちに結びつきます。
実はこの過程の中で私たちはすでに「申し訳ない」という気持ちを生んでいるんです!
どこで申し訳ないと感じている?
それはこの「いやいや、恐らくこれには理由があるんだろう」の部分です。
なんでこんな雑に扱うの?!
私なにもしていないよ!
と心の底から思ってみると、必要とされていないと感じないと思います。
本当はこう思っている。
けどこう思うのは良くない、申し訳ない。
だから許そう、違う理由を見つけよう。
けどそんな簡単に許せないと思うし、違う理由を見つけたくても見つからない。
自分のせいにしてしまえば、申し訳なさから解放されるし、誰も傷つかない。
そんなふうに自分を責めて、誰にも理解されないことを辛く感じてしまうのではないかな、と思います。
「申し訳ない」をやめると、楽になる
不思議なことに「本当になんでこんなことするの?!」と感情を発散させると、寂しい気持ちもなくなります。
いつも言う自分に素直になる、という部分と重なりますね。
そもそも、自分の感情に「合っている」も「間違っている」もありません。
感情を行動に移せ、というわけではなく、
「なんで!!」
「ひどい!!」
という感情は勝手にわき上がるものです。
だから「そんなことを思うのが申し訳ない」って思うのではなく、「これぐらいの感情がわき上がるほど自分は嫌な思いをした」と考えると気持ちが楽になるんですね。
誰かが傷つくことをしたら申し訳ないでいいかもしれない。
けど自分の持つ感情にまでも、申し訳ないって思わなくていいんです。
これで「私は必要とされていない人」という気持ちから少し抜けだせるんではないかな、と思います!
まとめ
「皆に必要とされている」と考えた方が気持ちも楽になるのに、なぜできないんだろう、と考えたところから見つけました。寂しくなるのは決まって、誰かと喧嘩したり、嫌なことをされたりしたときなんです。私は悪くなかった!と怒っているときは、寂しいとも思わないんですが、いや、許さなければ、私のどこかが悪かったんだろうって思い始めてから、寂しく辛い思いになります。本当かな?という人は今後似た状況に出会ったときに感じてみてほしいです!